ジャック・ゴー・ランタン

雑記を書きつつ、精神的に弱い人や、不器用な人の支えになれるようなブログを目指しています。

「天才ですね!」と褒める事は、ある意味失礼。

 

「天才ですね!」という言葉は無礼になりうる。

仕事でも趣味でも何でも良いのですが、

自分がやるよりも上手にやる人が居るとします。

 

まぁブログで例えるなら3ヶ月で10万アクセス達成!とかを達成してる人に対して自分が思うのは「天才だ!」ということ。

 

前職のデザインでも、自分がウンウン悩んでやっとデザインを仕上げるのに、自分の数十倍のスピードでデザインを仕上げて、かつ質も高い先輩も居ました。

 

そんな時にも自分は「天才ですね!」と称賛するつもりで発言していました。

 

でも、最近感じたのは「天才ですね」と褒めることは無礼になるのでは無いかと言うこと。

 

その人に天賦の才があったから、普通は達成出来ない目標を簡単に出来たと言ってることに等しいわけで、まるで努力もせずに結果を出している風にすら聞こえます。

 

車で例えるなら、普通の人は軽トラで才能のある人はスポーツカーを持っているとしましょう。

 

皆は軽トラで遅いスピードで試行錯誤しながら走っている。

 

その隣をスポーツカーがとんでもないスピードで走り抜けていく。

 

「スポーツカー(才能)を持っているから、すごいですね!」とたぶん普通の人は考えると思います。

 

ただその人も最初は軽トラしか持ってなかったのかも知れません。

 

そこで日々、試行錯誤して泣きそうになりながらも努力を少しずつ重ねていき、何とかそのスポーツカーを手に入れたのかも知れません。

 

なのに結果を出したスポーツカー(天才)を持った人たちに僕らはこう言います。

 

「すごいですね!天才です!」

 

その人が生まれ持ってスポーツカーを持っていたから走り抜けれたとしか見てくれず、

その人の努力や試行錯誤なんて汲み取ってくれません。

 

その人の過去の努力や試行錯誤があったはずなのに「天才だ」の一言で片付けてしまうのは、ひょっとしたら無礼になるんではないだろうかと最近感じます。

 

自分の尊敬する天才と話す機会はありましたが、結果を出すまでの過程を聞くと寝る間も惜しんで、歩いてる間も成長させる。自分の幅を広げていくような行動ばかり。

 

努力のチャンスがあれば必ず行う。そういう生き方をしていました。

 

僕はその人を天才だと思っていたのですが、努力の量が圧倒的に違いました。

 

自分で考え多くの失敗や挫折を通して、それでも改善しようと考え抜いた後に出した大きな結果。

 

その結果をただ「天才ですね」の一言で片付けるのは失礼だなと感じます。

 

もしかしたら世界には生まれたときから未経験でも手を出せば簡単に物事を達成してしまうガチの天才も居るかもしれません。

 

でも天才の100人中99人は「ただ努力を繰り返した人」なんじゃないんでしょうか。

 

最近はそんな事を思っているので、今後すごい人が現れても「天才ですね」とは言わないつもりです。

 

褒めているつもりでも、相手からしたら過去の努力した自分を無視されたかのような悲しい発言になりそうなので。

 

ではでは。