ジャック・ゴー・ランタン

雑記を書きつつ、精神的に弱い人や、不器用な人の支えになれるようなブログを目指しています。

意味のない仕事をやっている間も思考は自由だ。

仕事で働いてるときに、雑用を頼まれて「一体、こんな仕事に何の意味があるんだ?生産性も何もないし無駄な時間を過ごしている…」と考えることもあると思います。

 

でもそんな雑用の間も思考する事は自由という話を今日は書こうかと思います。

 

雑用中でも思考で意味のある時間に出来る

 

なぜこんな記事を書こうかと思ったかと言うとTwitterを見ていてこんな投稿が目に入ったからです。

 

この横浜メガネさんのツイートを見て、雑用を楽しんでるのはもちろん前向きで素晴らしいんですけど、更にその雑用をやっている間に「ブログのことを考えている」という生産的な時間に変えています。

 

これを見たときに「なるほどなー。」と思いました。

 

普通、雑用を頼まれたら人は「何で自分がこんな仕事をやらなければいけないんだ…」と腐りながら渋々、雑用していくものだと思います。

 

でも、そんな誰でも出来るような雑用の間でも何を思考するかは自由です。

 

何を思考するかはいつも自由

雑用中、つまらない仕事を押し付けられて「何で自分がこんな事を…」と考えるのも自由ですし「ブログであんな事を書こう!」と考えるのも自由。

 

思考というのは自由で、誰にも止められるものではないです(自分以外は)

 

雑用中にブログのことを考えていても上司がエスパーでもなければ「おいっ!お前ブログのことを考えていたな!雑用に集中しろ!」なんて言われないですからね。

 

思考が自由で誰にも覗けないものであるなら、例え表面的に生産性の無い時間でも有益な時間に変える事は可能です。

 

雑用中だけじゃなくても、ただ移動しているだけの間、通勤途中の電車の中でもいつだって自分を向上させるように思考出来る事は出来ます。

 

最近、「ストレスの大半は自分自身が作るのではないかな?」という事を考えています。

 

1つのトラブルがあった時にひたすら脳内でその事を考え続けると、その体験が頭の中でリピートされてストレスを感じ続けます。

 

もし考え方を変えて「この経験を前に活かすにはどうしたらいいんだろう?」などと考えれば、自分の考え方の幅も広がりますし、成長のチャンスも生まれてストレスも生まれません。

 

脳は現実とイメージを区別できない

 

人は実際に体験したこととイメージした事を区別出来ないという話を聞いたことがあります。

 

例えば、過去に仕事でトラブルがあったとします。

 

頭の中でひたすらその時のトラブルを思い出すと、実際にそのトラブルに遭遇した時と同じストレスを感じてしまうようです。

 

要は脳は現実とイメージの区別が付いてないということです。

 

だから過去にあった楽しかったことを思い出すと、実際それを体験したかのように楽しい気持ちになるし、辛かったことを思い出すと実際それを体験しているかのように悲しい気持ちになります。

 

何を思考するかは自由なのであれば自分が辛くなるようなイメージをすることは止めて、少しでも自分の人生が楽しくなるような事を思考して前向きにいきたいものですね。

 

思考は世界であなただけに用意された一人部屋だから、そこに何を入れるかは本当に自由です。どうせそういう部屋があるなら自分がワクワクするもの、成長させるものを入れていきましょう。

 

ではでは。