ジャック・ゴー・ランタン

雑記を書きつつ、精神的に弱い人や、不器用な人の支えになれるようなブログを目指しています。

「普通になりたい」のは社会にとって?それとも自分にとって?

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人生を生きる事が上手くいかず、他の人間みたいに何故自分は上手く出来ないんだろうと考えて毎日悩んでる人は多いと思います。

 

いくら仕事やその他の事で一生懸命やってみたとしてもコミュニケーションが上手くいかないだけでダメ人間扱いされたり、飲み会の席で上手くたち振る舞えないだけで評価が下がったり。

 

そんな毎日で「普通になりたい」と考えてる人も多いでしょう。

 

この「普通」は社会にとっての普通なのか?それとも自分にとっての普通なのか?今日はそんな事を書いていこうと思います。

 

 

 

社会でのコミュニケーションは演技力だ

社会で生きる上では、コミュニケーションというものは思った以上に重要視されます。

 

上下関係や飲み会でのマナーや、気分が悪い時でも愛想良くしなければいけなかったりと。

 

僕は社会で生きるというのは「演技力」が必要だと思っています。

 

会社というのは年齢も生き方もバラバラな人間が一箇所に集まるわけですから、自分にとって相性のいい人間や悪い人間が居る訳です。

 

全員、相性の良い人間になる確率というのは奇跡に近いです。どうしても相性の悪い人間、お互い絶対に受け入れられないみたいな人間も出てきます。

 

その時に自分の中に現れる「嫌い」という感情を抑えて「好き」という感じで愛想良く振る舞える演技が出来るか?

 

もしこれが出来るならコミュニケーション能力が高いと言えるし、出来ないならコミュニケーション能力が低いと言われます。

 

こんな風に自然に明るく振る舞える演技が出来るかどうか=コミュニケーション能力があるかで判断されてしまいます。

 

でも内向的な人間や、コミュニケーションに慣れてない人は上手く笑顔を作れないし、話題も思い浮かばず口ごもって何も喋れなくなってしまいます。

 

もし一緒に働く人間が明るい方がいいか?暗い方がいいか?と聞かれたら明るい方がいいと答える人間の方が多いと思います。

 

だから仕事は並以上だがコミュニケーション能力が低い人間と、仕事は並以下だがコミュニケーション能力が高い人間は後者の方が評価されます。

 

コミュニケーション能力の有無で評価が決まる悲しさ

 

社会で周りと合わせる事の出来るコミュニケーション能力の高い人間は問題ないです。

 

しかし、コミュ障で表情も上手く笑顔に出来ない人にとっては社会は辛くもあります。

 

僕自身もコミュ障なので中々辛いものはあります。上下関係などもよく分からないし、笑いたく無い時に無理やり笑顔を作ったり、怒りを抑えて自分のやりたくない事をやってる時に悲しさを覚えたりもします。

 

ここで社会に適応して「社会適合者」として生きれるならそれは良いでしょう。

 

でも努力しても何故か周りのように上手くいかない、周りのように「普通」になれず苦しんでる社会不適合者は多数いると思います。

 

僕自身の考えとしては、社会不適合者は無理に社会に合わせなくてもいいのかなと思います。

 

以前もそんな記事を書きました。

 

www.jack-go-rantan.com

 

 

社会にとって「普通」にならなければいけないという呪い

 

子供の時代や学生の時代は自分のまま生きれたかも知れませんが、社会に出ると会社のルールや人間のしがらみで上手くいかない時もあります。

 

努力しても「普通」になれない自分は人間として根本的に何かが劣っているんじゃないんだろうか?

 

そんな気持ちが毎日膨れ上がり、不安や恐怖に押しつぶされて心の病気になってしまったりもするでしょう。

 

そんな「社会不適合者」な人達は無理に社会に溶け込もうとする必要は無いと思います。

 

決して嫌味で書いてる訳ではないです。

 

真面目に働いても給料は少なく、終身雇用も完全に崩壊して、いつ会社が無くなるかも分からない。

 

そんな中で無茶な仕事や高圧的な上司の下で笑顔で働けないのは逆に「普通」なんじゃないでしょうか?

 

「普通になりたい」という言葉を聞く時、僕は「普通」というものは2種類あると思います。

 

社会にとっての「普通」なのか

自分にとっての「普通」なのか。

 

苦しんでいる人は自分自身ではない社会で求められる人間、社会にとっての「普通」になろうとして苦しんでいる気がします。

 

そんな時は自分自身にとっての「普通」を目指すべきだと思います。

 

自分自身が正しいと思える事を自分自身が認めれるようになって、自分が楽しいと思える事をする事を自分自身に許したり。

 

そういう風に「自分自身として」生きる事が大事だと思います。

 

社会や他人や上司や同僚が間違っていると言われても、自分が正しくてそれをやる事が好きなら自分自身に嘘をつかず実行するべきです。

 

他人や社会が正しいと感じることに従うフリをして、日曜の夜には憂鬱になるようになるのは人生として正しいとは僕は思えないです。

 

自分を曲げれない人ほど、自分の感情に素直に生きている人ほど鬱になるこの社会に適合しなくたって人間として劣ってる訳では絶対にないです。

 

「社会不適合者」=「人生不適合者」では絶対にないです。

 

今、あなたが周りに否定されたりしても、その正しさは数十メートルの範囲でしか通用しない「社会の常識」である可能性も高いです。

 

隣の会社ではその社会の常識が「非常識」になったりなんてします。

 

だから自分自身が「普通だ」と感じる事をそのまま、表現できるように生きる事を目指すのは悪いことではないです。

 

その為にあなたが今いる場所から逃げる事は悪いことでは無いです。

だって生きる為に逃げる訳ですから。

 

その方法が転職やフリーランスになるのか、方法は無数にあると思います。それはあなた自身にしか分かりません。

 

でも今いる場所が苦しいなら全力で逃げてください。また自分に正直に生きれるような場所はきっとあります。

 

社会にとっての「普通」には無理にならなくていい、自分にとっての「普通」になって欲しいなと思います。

 

青竹(@aozora31101)でした

´ω`)ノではでは