ジャック・ゴー・ランタン

雑記を書きつつ、精神的に弱い人や、不器用な人の支えになれるようなブログを目指しています。

「人に役立つ記事」とは一体何なのか?という話

ブログを書き始めて、やっぱり公開するにはアクセス数が欲しいと思う人は多いと思います。

 

そんな時にブログ初心者用の本やネットで検索すると出てくるのが

「人の役に立つ記事を書こう」という事。

 

その「人に役立つ記事」を書こうと思っても、上手く書き進められない人も多いと思います。

 

僕もその中の1人です。

 

人の役に立つ記事って一体何だ?って記事を今日は書こうかと思います。

 

「人に役立つ記事」って何だ?

 

最初に結論書きますが、まだこの役に立つ記事って何なのかは自分の中で答えは出てないです。

 

役に立つ記事を書こうとする時によく言われるのが「ペルソナ」を想像して書くというのもあります。

 

例えば読む人が30代専業主婦で子供が2人居て、たまに旅行することが好きな女性の気持ちを想像して書くなど、仮の読者を想定して書くという感じですね。

 

でも、本当にそんなペルソナなんかハッキリと想定できる?って感じが正直するんですよね。

 

いくら想像したとしても、30代のサラリーマンのオッサンが20代の子供3人が居る女性の気持ちを想像したところで、机上の空論、妄想にしかならないのではないかと。

 

訓練を積み重ねればこのペルソナ設定も上手く出来るのかも知れませんが、今のところ上手くはいきません。

 

それなら「過去の自分」をペルソナにするのが一番分かりやすいし、やりやすいのではないかと最近は思うのです。

 

「過去の自分」に向けてブログを書く

 

自分と性別や年齢が違う相手をペルソナに置くよりも、自分自身ならペルソナは想定しやすいはずです。

 

過去に自分に起きたトラブル、その解決方法。

買ってよかった物、行って楽しかった場所。

精神的に辛かったけど、こんな考え方、行動をすれば改善されたなど。

 

もし過去の自分がそれを知れば「役に立った」記事を書いてみる。

 

それなら一番書きやすいですし、自分と同じような状況にある人にとっても「役に立つ記事」になります。

 

全く自分と違う人間の事を想定して書くよりも、自分自身に向けて書き続ける。

 

そうすると日々書く練習にもなりますし、誰かに向けて伝える練習(この場合自分自身ですけど)にもなります。

 

実際、僕も人の役に立つ記事を書こうと何度もやるのですがどうしても上手くいかなかったので、最近は過去の自分に向けてひたすら書いています。この文章もそうです。

 

過去の自分自身に役立つ記事も書けないのに、人の役に立つ記事なんて書けないと僕は思っています。

 

だからこそまずは普通にブログを書くというのが習慣化されるまで、好きなように過去の自分に向けて書いていこうと思います。

 

何が役に立つかなんて誰にも分からない

 

「役に立つ記事」とは何だ?と悩んだ時に、人のブログを色々読んだのですが、「役に立つ」って主観的なものだなと感じました。

 

ある子育て主婦さんのブログを見たんです。

 

そのサイトはとても綺麗で文章もすごく理路整然としていて、段落や色の付け方などもすごく丁寧でした。

 

書いてる内容は子供のオススメの塾や教育を紹介するのがメインでした。

 

さぁこのサイトは僕にとって「役に立つ」記事だったのか?と聞かれると「いや…別に…」という感じでした。

 

もちろん先にも書いたように、サイトも綺麗で文章も綺麗ですけど30代前半男性の僕が見ていて「役に立つ記事(面白い・使える情報)」では無かったんですね。

 

でも20〜30代の子持ちで良い教育をしたいと思ってるママさん達からしたら「役に立つ記事」だと思うんです。

 

何が言いたいかと言うと、

「全ての人に役立つ記事は存在しない」って事です。

 

ひとつの記事があって、20代の専業主婦と40代の鉄道マニアに役立つ記事なんて、まぁ無いですよね?

 

だから20代の専業主婦は同じ専業主婦の為に役立つ記事を書けば良いし、40代の電車マニアは好きな電車の記事を書けば良いと思うんです。

 

自分で書いていて「こんな記事に価値なんてない…」なんて思う時も多いと思います。

 

僕も今この記事を書いていて、そんな気持ちが無いかと言えば嘘になります。

 

でも先に書いたように「何が役に立つかは主観的なもの」なのでいくら書いている人が「無価値な記事」と判断しても、誰かにとっては「役に立つ記事」かも知れません。

 

記事を公開する前に自分で点数を決めてボツにするぐらいなら、公開してしまった方がいいと思います。

 

幸いそれこそブログなんで加筆・修正・削除はいつだって出来るので公開してしまってからどうするか考えてもいいのではないかと。

 

まず自分で点数付けて公開できなくなるぐらいなら、エイヤっと公開して反応見るのも悪くないです。

 

最初から「役に立つ記事」を書き続けれる人はいない

 

何度か自分なりに考えて、役に立つであろう記事を投稿する事に慣れても、その「役に立つ記事じゃないと公開してはいけない」って無意識に自分の中で制限かけてしまうと公開も出来なくなってきます。

 

役に立つ記事を書く為に、役に立たない記事を書き続ける日々も必要ではないのかなと。

 

役に立つ記事を書く。それ自体は良いんですけど、役に立たない記事、つまり失敗の記事を公開する事も経験としては大事ではないかと思うのです。

 

失敗をするという経験が無いと、成功のイメージも浮かびにくいです。成功っていう中心を知る為に失敗という外堀を知るイメージです。

 

僕は子供が居るので、よく子供の遊べる施設とかよく行くんですね。アンパンマンミュージアムとか。

 

「よし、このお出かけを記事にしよう!」と思って「アンパンマンミュージアム 子供」で検索すると自分が書こうとしてた文章よりも量と質が圧倒的に優れているサイトが見つかったりするんです。

 

そんな時に「こんなハイレベルな記事を超えるような文章は書けない…書くのやめよ…」ってなる事も多いです。

 

でもそこで自分なりの経験を書いて、例えその記事に負けてると思っても公開する事は大事なのかなと思うんです。

 

もしかしたらそのハイレベルな記事を作った人も過去に他のハイレベルな記事に負けそうになりそうながらも公開し続けた人かも知れませんし。

 

問題はそこで公開する事を尻込みして、ブログが書けなくなることがデメリットです。

 

それをしないとなにも成長しないし、例え主観的に負けてると思ってもあなたにしか体験できなかった事が必ずあるはずなのでそれを書くべきかと。

 

僕は今、ブログが書けなくなりリハビリ的に自分に向けて書き続けていますが、この習慣が慣れたらもう一度自分の体験記も勇気を持って公開していこうと思います。

 

「役に立つ記事」が何なのか分からない人は、「過去の自分にとって役に立つ記事」を書こうという話でした。

 

ではでは

´ω`)ノ